1971~1973年ベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所に客員研究員として滞在した。
当時日本では建物に断熱を行うという考えは殆ど無かったが、ベルリン工科大学では建物の
断熱技術を学ぶことができた。
その断熱とは建物躯体の外側に断熱を施す「外断熱工法」であった。
実際に町に出て工事現場を見ると全ての建築で外断熱が施されていた。
1973年秋に第一次石油危機が起きたが、その直後に帰国した。
当時の日本政府は対応が早く日本が石油に依存することなくやっていけるようにと
「サンシャイン計画」が立ち上げられた。
私は太陽熱で暖房、冷房、給湯が行える実験住宅を開発するプロジェクトに従事することとなった。
太陽熱は豊かなエネルギーではあるが、単位面積当たりでは希薄なものである。
太陽熱で暖冷房給湯を行おうと思えば、建物自体を省エネルギー的に作らなければならなかった。
そこで思い出したのがベルリンで勉強した外断熱工法であった。
ドイツから材料の一部を取り寄せたりして、実験住宅が完成した。
それ以来外断熱工法の研究に取り組んでいる。
現在は(一社)日本断熱住宅技術協会理事長として健全な断熱技術の普及に努力している。http://www.ndjk.info